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2011年12月

2011年12月28日 (水)

出来事

あるひとつの出来事を

 

片方の側からだけではなく

 

全部の方向から見ることは、むずかしいです。

 

 

自分の目に写ったこと、がすべてだと思いがちで

自分の耳で聞いたことだけが、すべてだと信じてしまいがちだけど。

 

 

人間の目や耳、五感、って結構主観的。

 

見たいものが見えて、聞きたいことが聞こえてくる。

と、いうのか

自分の解釈で、見て、聞いてしまう。

 

 

日々の出来事でも、マスコミが流している出来事でも

目に映る出来事の、奥の真実・・・・を

おしはかれる人でありたいと、いつもおもっているのですが

 

すこし、時間が経って冷静にかんがえる事ができるようになれば

わかることも

 

出来事の渦中にいるときには

 

ほんとうに、右にいくべきか、左にいくべきか

前なのか、後ろなのか

正しいのか、間違ってるのかさえ・・・

 

判断つかなくなる時もあるのだと、しりました。

 

 

でも、起こることはすべて

必要、必然、ベスト

 

わからないなりに、一生懸命考えて

 

良かれと思って出した答えは

きっとかならず「良かった」と思えるときがくるはず。

 

そう信じつつ

新しいとしを、迎えたいと思います。

 

 

今年一年、読んでくださってありがとうございました。

ご縁がありましたら

また、読んでいただけると、うれしいです。

 

先日

術後1年の、総点検・・・もしてきました。

とりあえず

どこにも異常なし。どこにも転移もありませんでした。

 

大丈夫だと、おもってはいたけど

ほっとしました。

 

生かされているいのち

 

わたしだけではなく、気づいていてもいなくても

すべての人が、生かされているいのち

 

自分でなくてはならない、自分の人生を

 

幸福になるために、生まれてきたのですもの。

 

嬉しい、楽しい、良かったを、どんな出来事の中からも探して

また、1年

過ごしていきたいとおもいます。

 

 

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2011年12月 9日 (金)

信じること

信じること

裏切られたとおもうこと

 

すべて、自分のこころのなかにある

 

何を信じてると思って

何を裏切られたと 思うのか

 

自分が

思いたい通りを信じて、そうじゃなかったら裏切られたと思うのでは

 

本当に相手を信じてるのではなく

自分の作った虚像を信じているのでしかない

 

 

本当に信じる、のならば

万一、どんなに思いがけない姿を見ても

 

万一、どんなしうちを受けても

 

まどわされず、ただひたすらに相手をおもう

 

 

夫も、こども達も

ありえない?!なんで?・・・・という姿を現してくれたことが何度もあった。

 

でも

しょせん、それは「今」たまたま現れている「仮り」の姿

現れているすがたは、いつかは変わる

 

そうおもって

ただ、ひたすら、本当の「いのちの素晴らしさ」をみつめる。

 

現れている姿に目をつむって

見えてはいないけれど、本当はあるはずの「まごころ」

本当の いのちのすばらしさ

 

ただ この世に生まれてきてくれたことの ありがたさをおもうとき

 

どんな姿を いま現在に見えようとも

 

いつか、ほんとうの姿を 拝みだせるときがくる

 

その 姿を信じることができる

 

それが ほんとうに 信じることだと

わたしは おもうのです。

 

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